介護における待つということ
介護における「待つ」は、単なる忍耐ではない、相手の自立と尊厳を守るための高度なケア技術である。
なぜ「待つ」ことが必要なのか
良かれと思って先回りして介助を行うことは、高齢者が持っている残存機能を奪う「過剰介護」につながりかねません。本人が自分のペースで動いたり、言葉を選んだりする時間を保障することで、脳への刺激が維持され、「自分でできた」という達成感や自己効力感を育むことができます。
介護における「待つ」という行為は、単なる時間の経過を耐えることではありません。それは、相手の尊厳を守り、残された能力(残存能力)を最大限に引き出すための、非常に高度で能動的な「技術」です。
効率やスピードが重視される現代社会において、なぜ介護現場で「待つ技術」が重要なのか。
1. 「自立」を支援する技術
良かれと思って先回りして手を出してしまうことは、介護の世界では**「過介護」**と呼ばれます。 例えば、ボタンを留めるのに時間がかかっている高齢者に対し、スタッフがパッと留めてしまえば数十秒で終わります。しかし、その瞬間に「自分でできたはずの機会」が奪われます。
「待つ」ことで、本人が自らの力でやり遂げたとき、そこには自己効力感(自分はやればできるという感覚)が生まれます。この成功体験の積み重ねが、生活の質(QOL)の維持、さらには認知症の進行抑制や身体機能の維持に直結するのです。
2. 「心の声」を聴く技術
認知症のある方や、失語症を患っている方にとって、言葉を紡ぎ出すことは容易ではありません。脳内で言葉を探し、整理し、発話するまでに、健常者の数倍から数十倍の時間がかかることがあります。
ここで介護者が「〇〇がしたいのですね?」と先回りして結論を出してしまうと、本人は「自分の思いとは少し違うけれど、まあいいか」と諦めてしまい、次第に自発的なコミュニケーションを失っていきます。 沈黙を恐れず、相手が言葉を発するまでじっと寄り添い、視線を合わせながら「あなたの言葉を待っています」というメッセージを伝え続けること。この「沈黙の共有」こそが、深い信頼関係を築く鍵となります。
3. 「介護者の自己コントロール」の技術
「待つ」ことは、実は介護者側にとっても大きな挑戦です。忙しい業務の中で、あえて立ち止まるには強い意志と余裕が必要です。 「早くしてほしい」という焦りやイライラは、非言語コミュニケーションとして必ず相手に伝わり、相手を緊張させ、さらに動作を遅くさせるという悪循環を生みます。
「待つ技術」とは、介護者が自分自身の感情をコントロールし、「相手の時間の流れに自分の時計を合わせる」技術でもあります。
「待つ技術」の実践ポイント
⦁「沈黙」を恐れない
認知症などで言葉が出るまでに時間がかかる場合でも、急かさず、相手の表情を見守りながら言葉を待ちます。
⦁動作の先読みを控える
食事や着替えの際、もどかしく感じても手を出さず、相手の動き出しをサポートする程度に留めます。
⦁心の余裕を持つ
介護側の「早く終わらせたい」という焦りは相手に伝わります。深呼吸をし、相手のリズムに自分のリズムを合わせる意識が大切です。

介護における「待つ技術」は、決して消極的な姿勢ではありません。それは、相手の生命力と主体性を信じ抜くという、介護のプロフェッショナルとしての確固たる覚悟です。
効率化を求める「時計の時間」から、その人の人生を尊重する「心の時間」へと切り替えること。「待つ」ことは、相手を一個の人間として尊重しているという強力なメッセージになります。効率を優先するのではなく、「その人らしい時間」を共有することこそが、質の高いケアの第一歩で、その豊かな余白の中にこそ、真のケアが宿るのではないでしょうか。
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